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無口だった父の怒号と涙の理由 満蒙義勇軍の漫画、息子が製本

 


「満州版」に収録されている、19399月に敦賀港から出港した際の様子を描いた「祖國」=名古屋市名東区で2023126日午後552分、藤顕一郎撮影

無口だった父が怒号を発し、大粒の涙を流しながら、自作の漫画が裏面に描かれたチラシを破り捨てていた。理由を尋ねると、父の口から語られたのは、満蒙開拓青少年義勇軍にいた少年時代のすさまじい戦争の記憶だった。
 細井博充さん(72)=名古屋市緑区=の父芳男さん(2005年、81歳で死去)は1924年、愛知県安城市で生まれた。15歳になると、満蒙開拓青少年義勇軍に入隊した。
 義勇軍は旧日本軍が旧ソ連国境地帯の防備強化を図るため、旧満州(現中国東北部)に農業移民として送り込んだ部隊だ。芳男さんは現地で敗戦を迎え、旧ソ連捕虜収容所での生活を経て、4911月に帰国した。
 細井さんは、父が義勇軍にいた時の話を詳しく聞いたことがなかった。ただ、父が00年ごろから、広告チラシの裏面に漫画を描いていることを知る。父に聞くと、義勇軍にいた当時、別の部隊にいた漫画「のらくろ」の作者、田河水泡の弟子から描き方を教わったという。
 


「内原版」に収録されている、 3 カ月間の訓練を終え、旧満州に出発する義勇軍を描いた「渡満」=名古屋市名東区で 2023 12 6 日午後 5 57 分、藤顕一郎撮影

初めて見た父の激高
 「露助(ろすけ)(旧ソ連兵)のばかやろう!」。03年秋ごろ、細井さんは隣の部屋から父が大きな叫び声を上げているのを聞いた。慌てて部屋をのぞくと、父は大粒の涙を流し、漫画が描かれた数枚のチラシを破り捨てていた。
 日ごろから無口で穏やかだった父がこんなふうに激高することを見たことがなかった。その理由が知りたくて、細井さんは2日後、父を誘って富山県に親子旅行に出かけた。
 旅先で父が語ったのは、むごたらしい戦争の記憶の数々だった。
 


「内原版」に収録されている、全国各地から訓練所に集まった少年らが都道府県ごとに並ぶ姿を描いた「内原」=名古屋市名東区で 2023 12 6 日午後 5 56 分、藤顕一郎撮影

<背中に爆弾を背負った日本人女性らが(旧)ソ連軍の戦車の下に潜り込もうとして撃ち殺された。逃げ出すと、今度は(旧)日本軍に撃ち殺された>
 <最後まで(旧)ソ連に抵抗した仲間は目の前で火炎放射器で虫けらのように焼き殺された>
 親子旅行はその後も、父が肺気腫で亡くなるまでの2年間で3回行った。そのたびに細井さんは父の苦悩を知ることになった。父が無口になったのも、4年間の収容所暮らしで染みついたものだった。収容所では私語が許されず、私語を密告され、旧ソ連軍に殺害された者もいたと仲間から教わったという。
 


「内原版」に収録されている、水戸市にあった訓練所でまんじゅうなどを食べてくつろぐ様子が描かれた「おやつ」=名古屋市名東区で 2023 12 6 日午後 5 57 分、藤顕一郎撮影

「一番伝えたかったことは描けなかった」
父の死から20年近くたった今年6月、父と同じ義勇軍にいた仲間の家から、父が描いた漫画のコピーが見つかったことを知る。柔らかいタッチの漫画は、義勇軍を旧満州へ送り出すために現在の水戸市に作られた内原訓練所で過ごした時の様子や、旧満州に渡っての生活ぶりがサインペンで描かれていた。
 細井さんは父の形見でもある漫画を製本することを決めた。B5判サイズで、タイトルは「土の戦士 ああ!満蒙開拓青少年義勇軍」。内原訓練所で過ごした「内原版」と、「満州版」の2種類を本にして7月、「戦争と平和の資料館 ピースあいち」(名古屋市)に寄贈した。
 父は「ロシア交戦」「捕虜生活」をテーマにした作品も描く予定だった。細井さんは「おやじは一番伝えたかったことは描けなかった」と語り、03年秋に見た、父の怒りと涙の場面に思いをはせる。この二つのテーマを描くことは「父にとってつらい記憶だったんだろう」。
 1941128日、太平洋戦争が開戦し、日本は敗戦に向かって突き進んだ。あれから82年。「戦争はおやじにとっても、私にとってもつらい記憶。それでも忘れてはいけない」と細井さん。「漫画を通じて父の思いを多くの人に知ってもらえたら、おやじも喜ぶと思う」
 漫画はピースあいちで5日に始まった「寄贈品展」で閲覧できる。24224日まで(日曜と月曜、1223日~14日は休館)。問い合わせはピースあいち(0526024222)。【藤顕一郎】